若いうちの苦労は買わなくても良い

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。奥が深い言葉であるとは思うのですが、私にはどうも、押しつけがましいような印象を抱いてしまいます。

意味のない苦労は買わなくて良い

生きていれば、苦労する場面というのは向こうから勝手にやってくるもの。

思わぬ病気や怪我で苦しむ時もあるかもしれませんし、身近にいる大切な人がいなくなってしまうことだってあるでしょう。

生きていれば自然と苦労も舞い込んでくるのですから、必要もない苦労まで買う必要はありません。

必要な苦労であれば、自分からその苦労を乗り越えようとします。他人から押し売りされるような苦労まではいりません。使える時間や体力には限りがありますからね。

例えば、大学進学することに意味があると思えるなら、受験という苦労を乗り越えて、4年間学ぶ価値はあるでしょう。後々、大学受験の苦労や大学で学んだことは、自分の役にも立つでしょうし、人に語れるようにもなるかもしれません。

しかし、自分では特に目的などもなく、ただ親に言われて進学させられ、無駄な苦労をするだけで終わってしまったなんてことだってありえると思います。

「君はまだ若いんだから、今のうちから苦労した方が良い。というわけで、今からこの作業やって。私だって君くらいの時には、やってたんだからさ」

といった形で使われることもあるかもしれません。本当にそれが後に意味を持つものであれば良いのですが、ただの理不尽な要求だったとすれば、聞く必要はないと思います。

東京から北海道へ行くのが目的だとすれば、東京から北海道へ移動するための苦労はするでしょう。わざわざ沖縄に行ってから北海道へ向かうような、無意味な苦労まではしないでしょう。(そういう趣旨の旅であれば、面白いかもしれませんが…)

つまり、無駄な苦労までは買ってでもする必要はない、ということですね。

自分には意味があった苦労でも、今の若い人にも意味があるとは限らない

若いうちの苦労は買ってでもしろは、年長者の方が若い世代の人に向けて使われるものでしょう。年長者の方が若い頃に経験した努力や苦労が報われて、今の成功した自分がいるというのであれば、それは素晴らしい事だと思います。

ただ、それがそっくりそのまま、今の若い世代にも通用するかは別問題だと思います。

時代に関係なく通じる教訓などであれば良いのですが、今は時代の変化が激しいですからね。1年前の常識や流行が、今ではもう廃れていたなんていうのも珍しくない時代です。あるいは、長く続いていた常識だって、ふとしたきっかけで非常識になることも。

自分で苦労する意味を見出せるか

若いうちの苦労が、数十年後にも役に立つかは、正直なところ、わからないことの方が多いのかなという気はします。

だからこそ、人から言われたことで意味もなく苦労するより、自分から意味や目的があって苦労や経験を重ねる。

人に言われたことに従って、理不尽な苦労をさせられては、自分の人生を生きているとは言えなくなるでしょう。どんな苦労をして、どんなものを得るかは、やはり自分で決めていきたいものです。

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