やらないで後悔するより、やって後悔した方がマシ。これもよく聞く言葉ですが、私は何か違和感を抱いていたので、この言葉について考えてみました。
やらないで後悔するケース
やらないで後悔するより、やって後悔した方がマシということは、やらないで後悔する方が、損失が大きいということ。
例えば、就職も独立もせず、一生働かない場合。自分の時間や体力を、自分以外の誰かや、お金のために消費しなくて済む。その代わり、働くことで得られるであろうお金は入ってこない。自分の時間を誰かのために使わずに済むといっても、働こうが、働くまいが、時間は減っていくもの。
最初から一生暮らしていけるだけのお金があるなら働かなくても良いかもしれない。そうでなければ、お金がないせいで、自分が満足するだけ食べたり、趣味に没頭することができない。これでは本当に何もしない時間を過ごすだけで、何が楽しくて生きているのかが、わからない。
そんな状況がさすがに嫌になったので、ついに働くことを決意した。しかし、その時にはもう、年齢や体力の問題で満足に仕事できない状態になっていたら? 「やらないで後悔するより、やって後悔した方がマシだった…」と思いながら、生涯を終えることになってしまうかもしれない。
この場合は「やらないで後悔するより、やって後悔した方がマシ」と言えるでしょう。
しかし、世の中の全てが、やった方がマシとは限らないと思うのです。
逆に、やらない方がマシだったというケースだって、たくさんあるはず…
やって後悔するケース
例えば、公序良俗に反することをした結果、罰せられる。誰かを攻撃した結果、報復されてしまった。こういうのは「やらない方がマシ」と言えます。…当たり前のことですが。
普段の人付き合いで例えるなら、仲が良かったはずの相手と、些細なことでつい喧嘩に。怒りに身を任せて「お前とは絶交だ!」と言ってしまう。結果、本当にそれっきりの関係で終わってしまい、二度と会う事もなかった…。
「どうしてあの時あんなことを言ってしまったのだろう…こんなことになるくらいなら、言うんじゃなかった…。どっちが悪いかは置いといて、こちらから謝っておけば、今も仲良くやれたかもしれないのに…」
と、後悔するかもしれません。この場合は、やらなかった方がマシと言えるでしょう。すぐに謝罪するという行動を、やった方がマシだったとも言えそうです。それで元の関係に戻れるかはわかりませんが。
自分で何をやって、何をやらないか決める
私が「やらないで後悔するより、やって後悔する方がマシ」の何が気になるかと言えば、このセリフを人から言われた時です。自分を奮い立たせるために、自分で自分に向けて言うのなら納得できるのです。
何かに取り組んでみたけど、大した成果が得られず、損失の方が大きかったので、後悔する結末になった。
けど、それはあくまで自分がやろうと決めたことだから、悪い結果だったとしても、まだ受け入れられる。
人から言われて、何かやらされたような形だった場合。自分からやったわけではないので、悪い結果になった時に、それを受け入れられるかどうか…
誰かに「やらないで後悔するより、やって後悔しろ」と言うだけなら簡単ですが、それによって生じた結果が悪いものであったとした場合、その責任を、そのセリフを言った人がとってくれるとは限らないと思うので。
「やらないで後悔するよりやって後悔した方がマシ」より、「人に言われてやって後悔するより、自分からやって後悔した方がマシ」と考える方が、私としてはすっきりします。
たくさんの選択肢から、自分が何をやって、何をやらないか決める。そして、その結果が望むものでなかったとしても、自分で選んだのだから、素直に受け入れられる。その方が生きやすいと、私は思っています。